ああ、ハワイ!

ハワイ島のヒロに引っ越してきてからのアレやコレや

Bon Dance 狂想曲 (1)

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Bon Dance、つまり盆踊りのこと。わが街ヒロの夏のお楽しみの一つがこのBon Danceだ。6月中旬から9月初頭まで毎週ヒロ周辺のどこかのお寺で、めくるめくBon Danceの宵が繰り広げられている。めくるめくって言い過ぎに聞こえるかもしれないが、実にめくるめくっている。

盆踊りは子供の頃に行ったことがあるだけで、全然興味が無かったし、サンフランシスコに住んでいる時も日本町で盆踊りがあるのは知っていたが、行ったことはなかった。それがなぜ、行くことになったのか。

7月初旬、ヒロ・ホーガン寺(漢字不明)で開催されたガレージセールで風変わりな浴衣(写真)を買った。この町で知り合った私の非公式のお裁縫の先生Mさん(私の裁縫があまりにヘタクソなので「私が先生って言わないでね」とくぎを刺されているが)が古い着物や浴衣をリフォームをしているの見て、日本の古い布地に興味を持ち始め、この浴衣に飛びついたのである。
古い着物はまずレトロな柄がステキだし、紗、侶などの夏用の着物地は軽くて風通しが良く、湿気の多いヒロには最適だ。この浴衣もほどいて、何かに使おうと思って買ったのだ。

日系の人が長年暮らしてきたハワイにはこういう古い掘り出しものがまだ残っているようで、お寺のガレージセールは古い食器やざる、着物など一挙に出てくる可能性が高い。亡くなった一世の祖父母の家を整理していたら要らないものがたくさん出て来たので、お寺に寄付、という道筋で古いものがお寺のセールに出てくるようだ。

という訳で、お寺のガレージセールはもの凄い混雑。町で一番人気は年に一度の本願寺(ヒロで一番大きなお寺である)の大セールで、朝7時からのセールに5時から人が並ぶという。新製品発売日のアップルストアもかくやという熱狂ぶりで、セールのある週は「行くのか?」「行くのか?」と何人もの人に聞かれた。こうなると行かない訳にはいかない。友達と7時に待ち合わせたが、オープン時にはすでに百人以上の人が並んで、すごい熱気に吹き飛ばされそう。それでも、もみ合いへし合いしながら、古い絽の反物をゲット。たった15ドル、グフフフのフ。
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盆踊りに話を戻そう。前述の買った浴衣がうれしくて、お寺の駐車場で羽織ってはしゃいでいたら、駐車場の整理をしていた年配の日系男性が「来月Bon Danceがあるから、着て来たら良いよ」と一声。「Bon Dance?盆踊りのこと?そうか、なるほど、これを着て行くところがアル訳か」という思いが点灯。その場で「よっしゃ!ボンダンスに行こう」という新プロジェクトが発足した。

浴衣を着るためにはいろいろ小道具がいる。帯や下駄などなど、Mさんは帯や小物もたくさん持っているの人なので、強引に借用を頼み込みこみ、試着までこぎつけた。ところがである、私が入手した浴衣は浴衣では無かった。木綿布で縫われた着物だと言う。見れば分かるだろう、と思われる方もあろうが私には分からなかった。

ここで着物と浴衣はどう違うのかのを説明は省くが、ともかく普通の浴衣なら博多帯一本で簡単に着付けが出来るらしいが、私の浴衣もどきを着るためは肌着から帯、帯揚げまでしっかり着物として着付けねばならないというのだ。しかも振袖だ。ながーい袖が付いており、着物文化的には礼装で若い女性が着る仕様で、今回調べたら未婚でも既婚も構わないらしい。

どうなのよ、非婚の私が着たら変? 自問自答の末、ヒロはそんなこと知らない人がほとんどだろうし、気持ちは若いから良し、との結論を出した。

その後、Mさんの好意で彼女の古い帯を切って、胴部分と後ろ部分をアタッチメント式にした帯を縫い(難しかった)、着付けの練習をし、下駄を借り、何度かの試着を経てプロジェクトは完成に近づいた。
あとはBon Danceに突撃(?)をかけるだけである。

一応クチに入れてみる

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この島に来てから、かなりうれしいのは木になっている実を食べることができることだ。
来た当初は高い木の上になっているオレンジやパパイヤをなんとか収穫しようと、(獲っても構わないところであることを確認してから)長い棒切れ等を使って落とすのがうれしかった。落ちて来た果実が無傷で食べごろだと大成功で、この島の土から育ったものを食べられる、ということがひたすらうれしくて、島と親しくなれたような気がしたものだ。

この写真の果物はウル、ブレッドフルーツでつい最近になってお近づきになれた。この写真を撮った頃はこれが何で、食べられるかどうかも知らなかったが、もし知っていたらきっとこれも穫ったと思う。おいしいのだ。切ると断面はパイナップルのような見かけだが、味はサツマイモに近い。こちらの人は茹でてからバターと塩で食べたりする。私は茹でたてをそのまま塩で食べたり、フライパンで焼いてちょっとカリッとさせて食べる。

実はウルと初対面の時、私はこれをどう食べるかを知らなかった。もらったウルがかなり熟れていて柔らかいので、切ってみるとクリーム状になっている。いかにも美味しそう。外見は怖いが実は甘いサワーサップ*という果物と同じだろうと思って、そのまま生で食べた。果物、野菜は一応クチに入れてみる、が私のポリシーだ。カスタードクリームみたいな味わいだが、やはりちょっと青っぽい。何口か味わってから「フーン、これは生で食べて安全であろうか」という当然の疑問が湧いた。即ネットで調べたら茹でて食べるとの記述!!! エー大丈夫かいな、死ぬかなとか心配したが、別状は無かった。

この話を地元の人にすると皆「エー」って顔をする。おいしくなかっただろうとか、お腹壊さなかったかなどなど。でも私の体験は美味しかったし、腹具合いも大丈夫であった。こういう出会いもあるのだ。ともかくも私はウルの大ファンである。ファーマーズマーケットで売っていないかとよく見るのだが、あまり見かけない。きっとどこにもあって、当たり前過ぎるから売られてないのか、それともタダ私が見落としているだけかもしれない。

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サワーサップ、この名前を聞いた時、日本のテレビで観たボブ・サップという人を思いだした。見かけは怖いけど、中身は全然別といういう共通点があるように思う。

マチスって

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今朝は5時頃から、昨日から描き始めていたパイナップルとライムの静物画の続きを描いて、水彩が乾くのを待ちながら、コーヒーとウル(ブレッドフルーツ)のグリルで朝食。ウルは最近知った地元の果物、メチャ美味しくてファンになってしまった。この話は別の機会に書こう。

静物画だ。静物画はしばらく描いてなかった。水彩を始めた頃、花や野菜、くだものの絵をたくさん描いた。イチゴが難しくて巧く描けなかったので、画用紙一杯ぐらいの大きなイチゴを何枚か描いて溜飲を収めた。イチゴってじっと見ているとゴチャゴチャしていて、小さく描いていると全然感じが出せないのだが、大きく描いたら納得できた。それにしても、あんな大きなイチゴの絵は自分で見てもギョ、イチゴゴリラって感じだ。

で、この静物画はカラフルな作品に仕上げたいなあ、と思ってマチスの絵を参考にした。ところが真似てみても、全然マチスってない。ただゴチャゴチャしてるだけ。彼の絵って背景の壁紙もゴチャゴチャとカラフルなのに、全然うるさい感じがなくて、温かい。こんな絵が描けるようになりたいものだ。

絵は巧く(自分で納得がいくように描けるまでというような意味)描けるまで、かなり努力が必要だけど、見ていい感じだな、画家の人となりや表現したいことが感じられる、と思えるような絵が描けるようになるには、何か全然違う努力をしないとイケナイように思う。私の絵を見ると自分らしい、とは思えるけれど、それ以上の何かを伝えていない気がする。今は自分で納得できる絵を描く練習をしている状態だと思う。静物画、かなりヒドい出来なのだけど、諦めず続けて描いて行こうと思う。

一昨日は、ボランティアをしている保育園の女の子の肖像画を仕上げられたので、気分が良かった。とりあえず納得の出来映え。
描いてくれと頼まれた訳ではないのだけど、彼女の5歳の誕生パーティに呼ばれて、そこで彼女の映っている写真を貰ったので、それ見て描いた。とても愛らしい女の子なので、お母さんは可愛くて仕方がないのだろう、会場には彼女の写真のプリントが一杯あった。上にお兄ちゃんが二人いて、ようやく出来た女の子が5歳になって本当にうれしい、って泣きながらスピーチをしていた。目に入れても痛くないって感じ。
彼女は保育園でお姉さんタイプで、先生の言うことよく聞く優等生だ。よく絵を描いて私にくれるので、我が家の冷蔵庫には彼女の描いた絵が何枚も貼付けてある。まったく作為のないスポンとしたいい絵なので、毎朝見ては刺激を受けている。子供の描く絵は本当にいい。巧く描こうというより、自分の中にある描きたいものイメージをそのまま描いている感じがする。マチスの絵もそれに近い感じがするので、お手本にしたくなるんだろう。

本当は今日観た映画Guardians of the Galaxyがすごく楽しかったので、それについて書こうと思っていたのに、横道に落ちたままになってしまった。ドライマンゴーを食べつつ映画を観て、久しぶりにすっごく幸せな気分だった。そのことについて書こうと思ったのに…。きっと書く必要がないほど楽しかったんだと思う。

超文学『吾輩はゲッコーである』(2)

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どうやらこの女史には自分の周りのものに名前を付けるクセがあるようで、コンピュータにも車にも、もちろん向いに住む猫にも女史が作る人形にも名前を付けている。それ以外にも女史が密かに名前をつけて語りかける対象がいるらしいのだが、これなどは3次元世界に存在しないシロモノなのである。ベッドの争奪戦に始まって、今後の吾輩の暮らしには暗雲垂れ込めまくりである。

数日前、女史が家に友人女史らを招いて会食をしていた際である、女史は吾輩のことを話題にした。
「毎晩ベットの中にゲッコーがいるのよ」
「え?! それで?」
「フトンまくると飛出していくんだけどね」
「フトン温めてくれてるんじゃないの」
「でも連中ってさ、冷血じゃない?」
「じゃあ、フトン冷やしておいてくれてるんだ」
「そうか、ここは暑いしね。あはははは」
「あはははは」
「夜中に顔舐めてくれたりして」
「えへへへ、あはあは」
「ゲヘゲヘ」
舐めるものか! なんとういう下品な笑いだ。その時である、吾輩は女史の頭の中で考えていることがツーカーで分かり、なんと吾輩のことを密かに「イチ公」と呼んでいる声が聞こえたのである。

イイイイイイイ…イチ公って、忠犬ハチ公の真似か? 吾輩には真一文字緑衛門という先祖代々から受け継いだ名前があるのだ。怒り心頭で二本足で立ってしまった。
この女史は昔広告代理店で働いていたとか人に言っていたが、なんという乏しいネーミング能力だ。そういえば昔クロ猫を飼っていた時にその猫をクロと呼んでいたらしい。しかもイチ公すら面倒なのか、吾輩をイチ、イチと呼んだりしている。
その上、今朝などはコーヒーを入れながら『ゲッコー仮面』『フィガロのゲッコー』『あるゲッコーの風景』「ゲッコーけだらけ猫灰だらけ」などと独り言を言っている始末…。まったくもって、何と言うか、広告代理店向きではないな。

全然望んでいたいた訳ではないのに、女史の頭で起きていることが聞こえるようになって吾輩は混乱している。脳みそは大きさではないと思うが、吾輩の脳みそは大きくはないのである。その小さなスペースが女史の考えや声に包まれると哀しいかな吾輩は己を失ってしまう。

昨晩もそうだった。女史は睡眠ショーガイがあるようで吾輩の活動時間である深夜に起きていること多い。これもモンダイなのであるが、昨晩もフッと起き出し、ベットに腰掛けてボー然と壁を眺めていた。その刹那、吾輩の脳みそに以下のイメージが浮かんだのである。
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誰じゃ、この少女は? 女史とは似ても似つかぬではないか…と思っているうちに吾輩はこのイメージの少女になり、かつて感じたことのない不可思議な体験をした。胸が苦しく、全身が冷たくなって、ああ、なんもかんもどうでも良いや、という感覚に囚われたのである。何じゃコレは? 
女史よ、あんたが何でこんな少女をイメージしたかは知らないが、止めた方がよいぞなもし、であるよ。吾輩は快食快眠快便、すこぶる機嫌良く生きているヤモリ様なのである。吾輩のような冷血動物(正確には変温動物であるぞ)の体温をイメージを使って下げてしまうなどいう面倒なことをされては、まったくもって暗雲垂れまくりである。
ではあるが、我が家から見える朝日は超ゴージャスなのであるよ。

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超文学『吾輩はゲッコーである』(1)

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吾輩はゲッコーである。名前はすでにある。真一文字緑衛門。真一文字の名字は、吾が種族の紋である背中に通る一筋の白い線から来ている。キリリとした白い印を背負った吾が種は、静かな夜が活動時間。背中に派手なオレンジ色のスポットを散らし、昼にチョロチョロと動き回る昼ゲッコーたちとは大違い、蒸し暑い昼に動き回るほど愚かしくはないのである。
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住処はとある女史の家、というか吾輩の方が先住である。この女史は数ヶ月前からこの家に一人住み着いて、何やら毎朝どこかへ出かけ、草臥れて昼頃帰ってくる。どうやら自動車という自分の足を使わずに動き回ることの出来る大きなハコを動かすことに草臥れている様子だが、あのハコを手に入れる前は背中に何かを背負ってトコトコと家を出て歩き回っていたものだ。この女史については追々語るとして、最近の事件を語ろう。

この女史がベッドルームと呼んでいる部屋が吾輩の住処なのであるが、最近になってこの部屋が様変わりした。
女史がベッドと呼ぶ気持ちのよい台に掛かっていた布が吾輩の好みの緑色に変わり、活動拠点である窓にも植物の葉が舞い散る布が掛けられるようになったのである。吾輩はうれしくなって、緑の布の間で昼の安眠を貪っておった。ところが毎夜、吾輩のこの心地よい塒(ねぐら)にこの女史が闖入してくるのである。女史はいつもどこか別の部屋で寝入ってしまい、深夜前に慌てて「ベッド…ベッド…ちゃんと寝なくちゃ…」などと言いながら、フワフワとした上掛けをガバっと広げてベットに入ってくるのである。そして、吾輩を見つけて一声「何じゃコレ?」。「何じゃコレ?」はこちら叫びたい言葉ではあるが、逃げるが勝ち。なにせ女史は巨大なのである。

吾輩は敏捷なるジャンプをしてフワフワした上掛けの上に移動。ジッとしていると女史が顔をグッと近づけて、ジッーと吾輩を見つめる。正直、これは怖い。なんで吾輩を見つめるのだ、吾輩は見つめられのは苦手なのだ、あっち行け! 早く寝てしまえ! ところがすっかり目が醒めた女史はずっと吾輩を見つめている。
ひょっとすると吾輩の美しい移動のパフォーマンスを待ちわびているのではないか、と合点した吾輩は四肢を素早く前後に動かす得意の匍匐(ほふく)移動の妙技を披露してやった。まあ、吾輩は匍匐(ほふく)移動しかしないではあるが…。
さらに、女史らが重力などを呼ぶものを無視して壁をスルスルと登り、最後は窓に掛けられた布に飛び移ってやった。我ながら惚れ惚れとする美しいジャンプである。しかも、この布には植物の葉が一杯に広がっていてココチヨーイのだ。
吾輩は一枚の大きな葉を選んでその葉の上で今夜を過ごすことにした。すると背後に女史の強い視線が張り付いてくる。まだ見ているのだ。しかも、あろうことか「あれーこいつ、カーテンの柄を本物と思ってんのかな?」と吾輩をせせら笑っているのだ。ムムム、ムムム、
屈辱という言葉はこういう時に使うものである。そもそも吾輩はこの家の守り神、ヤモリ様であるぞ。お前なんぞは、大家とかいう輩に金なるものを払ってようやく住まわせてもらっているだけではないか、プンプン…

アッ…布越しに大好物の虫の影が……、おおおお、ムシムシ、メシメシ…

それにしてもこの家から見える夕焼けは美しいのであるぞ。f:id:doiyumifilm:20131104021453j:plain

ホノムへ

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3日目はこの旅初めての賃貸物件探索の日となった。ホノカア周辺の賃貸を見たが、2軒とも標高1,000フィート以上の場所で、共に涼しい所だった。ホノカアは高原の街ワイメアにも近く、ちょっと山手にかかると高原の風が吹くのか、ややひんやりした感じがあるのは発見だった。
しかし、サンフランシスコから引っ越す大きな理由に「もっと暖かいところで暮らしたい」があるので、部屋はメチャ広、家賃も格安は魅力的だったが、この辺りの物件はパスという感じだった。とりわけ一軒は番犬が三匹もいてその中の一匹がずっと吠え続けているのは参った。

今回、ハマクア・コーストにある小さな集落を回って思ったのは、犬がセキュリティ・システムという家がたくさんあること。一般的な考えとして、犬を飼っている家が多いということは、その地区はあまり安全ではないという意味にとれてしまうのだが、そうなんだろうか。家の前を歩くだけで、ウーッと唸り声を上げ、吠えまくる犬の声を聞いていると、犬ではなく飼い主の恐怖を感じる。飼い主の怖れをそのまま映しとって吠えているのが犬という感じがしてならない。怖れをたくさん持てば持つほど、ひきよせの法則で怖いことが起きる、というサイクルではないのだろうか、なんてことを考えた。

さて、その日の晩はネグラを変えて、ホノカアより南に40分ほどヒロに向かってドライブしたところにある小さな集落ホノムへ。
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ここもプランテーションがあった地区だったので、教会みたいな外観の立派なホンガンジなどのお寺が2軒があり、メイン・ストリートには壊れかけた映画館がある、という古い土地柄。名勝地アカカフォールにいく途中にある集落なので、一応観光客向けの土産物屋が何件が並び、最近流行のロープで渓谷をわたるジップなんとかをやっている店などもあり、現在の人口は500余人とか。通りの外れに見上げるような大きなバニアン・ツリーが寄り添うように2本そびえていて、その下で体格の良い男性が椅子に座ってただ涼んでいたのが印象的だ。

泊まる所は、カナダから10年以上前に移住してきたというジェリーさんの家ホノム・ホームだ。こういうのをゲストハウスとか言うのだろうか、要するに民宿である。

到着したら犬がワンワン吠えて家の中に入れない。また犬である。「でもこのコ、吠えてはいるけど、吠えるのは仕事だから仕方なくやっているだけで、しっぽは振っているし、顔つきはすごくフレンドリー」というのは相方のBちゃんの弁であるが、ともかく家主のジェリーさんも出てこない。
なあんかいい加減な人なんじゃないの、ゲストが来るのが分かっている家を空けてるなんて…ブツブツ思いつつ、死ぬ程たいくつな気分でホノムの土産物屋に戻って家主のジェリーさんから連絡を待った。

庭仕事をしていて私たちの声が聞こえなかったと弁解するジェリーさんは、感じのよいおじさんだった。フレンドリーな犬の名前はヨシ、われ関せずの黒い美ネコもいて、彼女の名前はチョー。

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家の方はやはり古いプランテーションホームだ。働き者のジェリーさんが10年かけてかなり手を入れたせいが、なかなか快適である。大きな裏庭には小さな池があり、オレンジやらバナナの木があってちょっとしたトロピカル・ガーデンである。それを眺めながらご飯を食べたり、ラウンジをしましょう、という設定で、庭に面した外にテーブルと椅子、ソファなどが置いてある。つまり食事をする場所が家の中にないのである。ハワイらしい。

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家の一階は古物商をやっているジェリーさんのオフィス兼お店とキッチンのみで、二階に四つのベットルームがある。その一つが私たちの部屋で、写真の通りに清潔で気持ちの良い部屋。前夜の奴隷小屋からワールド・トラベラー位に格上げされた感じだ。しかも、二人一泊50ドルはこれまた超破格。

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棚にはジェリーさんの集めたアンティックな陶器が並べてあるし、バスルームにもキュートな魚の陶器が一杯飾ってあって、こいういうコチャコチャした古いものが好きな私としては、キャーうれし!の世界である。じっくり写真を撮らせてもらった。

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ああ、ククイハエレ

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ハワイ島の第一日目は北東にある名勝地ワイピオバレー近くのククイハエレという小さな地区に泊まった。
映画『ホノカアボーイ』で有名になったホノカアから車で10分ほど、あの小さな町ホノカアが大きな町に見えるほど小さな地域で今回調べたらなんと人口336人だった! 
http://www.city-data.com/city/Kukuihaele-Hawaii.html

ククイハエレは前回来た時に、こんなとこに住んでみたいなあと強く強く感じた所。今回来た理由もその感じを確かめたかったからで、第一日にここに泊まってもその感覚はぜんぜん色あせてないなと実感した。
崖の近くに行くと雄大なワイピオ・バレー、前面には真っ青な海が見える、というそれだけなのだが、その静けさと景観の素晴らしさに陶然となってしまった。

着いた翌日の朝、ホステルの庭から散歩して、崖っぷちに座ってずっと海を見ていた。かなり遠くだが、クジラが汐を吹いたり、身体を跳ね上げたり、またイルカらしき一団がヒョイと身体を踊り出している様子を見ていたら、なんと2時間があっという間に過ぎてしまった。すごく満足感のある濃密な時間で、家にいてインターネットを使って2時間が過ぎてしまった時のなんとも言えぬ「しまった!」感とは対極にある時間の過ごし方だった。
「終の住処」という言い方があるが、私も「人生の最後をここで迎えられたらなあ」と思わぬではない。でも、まだまだやりたいことがあるし、死ぬ予定もないので、「終の住処」というのはまだ実感としてはピッタリしない。

という訳で、前回予告した一泊二人45ドルのホステルであるが、なかなかの体験だった。

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あの辺りにまだ残っているプランテーション・ハウスの地下部分に小さな部屋を三つ作って、中心にリビングルーム・スペースがあるという間取り。天井が低いし、築100年とかいう建物は相当な年代物というか、傷みまくっていた。上の部屋を借りている二組のカップルが歩くと頭の上にガンガン響くし、トイレから鼾の音まで臨場感いっぱい。まるで奴隷小屋にいる気分と思っていたら、この部屋はプランテーションで働いていたフィリピン労働者の住まいだった。シャワールームがプランテーション労働者の暮らしぶりを彷彿させてくれる変わったつくりだ。
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オーナーのスティーブさんのおばあちゃんが住んでいた家だったとかで、彼自身は島内のアチコチにたくさんの物件を持っているちょっとしたお大尽様。近所の鬱蒼とした森の中にあるプランテーションのマネージャーが住んでいたというプール付きの大豪邸に住んでいた。「おじいさんたちは、まさか孫がこの邸に住むようになるとは思っていなかっただろう」とはスティーヴさんの弁。きっと彼は絶対あの邸を手に入れようと思って頑張ったんじゃないかな。偶然手に入れたって感じはしなかかった。それにしても、あの豪邸を見た時、私たちの泊まった部屋が奴隷小屋って思ったのは当然で、きっと厳しい労働をした人たちの記憶があの部屋に残っていたからではないかと思う。

文句が多くなったが、腐ってもククイハエレのホステルである。真ん前は雄大な海が見えるし、馬やヤギもいてノンビリ天国だ。しかも、庭にはマカデミアナッツが一杯落ちていたし、オレンジやみかんなども取り放題で、毎朝ごちそうになった。とりわけマカデミアナッツは、殻を割るクラッカーがあって、割り立てをナマで食べるという贅沢を堪能した。ナマはローストしたのより新鮮な食感があってオイシかったぞー。
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